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<title>関西の人事コンサルタントのブログ　（大阪・京都・神戸）</title>
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<description>組織人事コンサルティング（企業理念、組織風土改革、教育研修、人事制度、人材採用など）で、関西の企業を応援するコンサルタントのブログです。「企業理念の構築・浸透」「組織風土の診断・デザイン」「人事制度の設計・改定」「階層別の研修、職種別研修」などを行っています。［お問い合わせは、06-6311-1800　株式会社イニシアチブ・パートナーズまで］</description>
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<pubDate>Wed, 18 Apr 2007 20:09:31 +0900</pubDate>
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<title>●「プロコーチ」になりたい人の動機を洞察してみる。</title>
<description>コーチングというのは一時の流行で終わると思いきや、今やマネジメントの必須ツールとして根づいたような感じもあり、ビジネス以外にもそれを使おうという動きも盛んになってきています。それに連れて、コーチという職業の人やコーチングでお金をもらう人、コーチになりたい・・という人が増えていて、それ自身がいいか悪いかを云々するつもりはありませんが、コーチ増殖の理由もやはり、単なるブームであるからとは言えないように思います。一つは、自分の可能性に見切りをつけたような・・・、自分を鍛える気がないというか成長意欲を失った人、だから厳しい環境にいたくない人には、コーチという仕事はとても魅力的に見えるはずだということです。明るい将来の見えにくい時代だからかもしれませんが、新卒で教師になろうとするまたは塾講師など教育に携わろうとする人達と同じことで、他人の課題にコミットすることで自分の問題に向き合わなくて良いような気がするのでしょう。公教育の課題は多く、一つには教師の資質と経験の問題が挙げられるわけですが、これと同じ現象が起こりつつあると思います。二つ目は、未経験可であること。コーチングでは一般に、相手の専門分野や個別の事情を一定以上理解する必要はないとされます。答（課題ややるべきこと）は相手の中にあるのであって、それを引き出すために必要なのは主として質問の力であり、こちらの経験や知識はそんなに大切なことではないとされます。求人票で言うなら、未経験可です。仕事では専門分化が進み、社会も多様化・複雑化していく中で、それについていく必要はない、質問と聴く力があればＯＫだというのは非常に魅力的な話でしょう。三つ目は、本音を話さなくて良い仕事であることです。普通の仕事であれば、本音をさらけ出し、語り合う、議論する、ぶつかり合うことがチーム力の向上や成果を上げるために大切なプロセスとなるわけですが、コーチはそんなことは考えません。「自分の意見を原則的には言わなくて良い（言わないほうが良い）」のですから、精神的にはとても楽です。本音を言うと、他の人と異なる点が出てきてそれが葛藤やストレスにつながるというのが普通の仕事ですが、そんなのは面倒だ、嫌だと考える人には格好の仕事と言えます。「成長意欲不問」「未経験可」「本音は言わなくてＯＫ」とは、何と素晴らしい仕事なんだというのが、コーチになりたい人達増殖中の理由ではないかと思います。（もちろん、本人達は「クライアントの成功を支援したい」のが動機だと思い込んでいるのですが。）本物のプロコーチの皆様には失礼なことを申し上げていますが、無意識も含めてこのような動機でコーチをやっている人達と一緒くたにされないうちに、そういうのはコーチじゃないんだよというメッセージをされた方が良いのではないかと思いますし、それがコーチングという技術と考え方の良さを真っ当に広めていくことにつながります。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
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<category>思うこと</category>
<pubDate>Mon, 15 Mar 2010 12:52:59 +0900</pubDate>

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<title>●就活支援は、何の解決策なのか？</title>
<description>また就職が厳しくなったので、面接対策や書類の書き方やスキルアップ系など様々な就職支援が誕生しているわけですが、採用数が増えない現状では、ある人が就職支援を受けて就職できたとしても、別の人がその人の替わりに不採用となるだけのことですから、就職支援というのは全体の幸せには関係がありません。いす取りゲームに参加している人を個別に応援しているだけであって、椅子の数を増やさないことには皆が幸せにはなれません。新卒に限った話でいうと、「全ての大学の就職支援が非常に効果的になって、学生のレベルがグンと上がったら就職率も上がる（企業ももっと採用する）だろう。」というのは勘違いで、企業に雇用する余力や成長見込みが生まれなければ採用数は増えないので、椅子を取りあう構図に変わりはありません。新聞紙上で、就職支援や失業者向けの教育訓練の記事をよく目にするようになりましたが、それは根本的な解決策ではないということです。根本的な解決策＝椅子を増やすためには、まずは経済の成長。デフレ化では雇用が増えないという問題です。ただし、今の景気がやや持ち直すくらいとか、ちょっとプラス成長になったくらいで椅子が十分に増えるはずはないので、これには時間がかかります。成長するまで椅子は増えませんというのでは、余りに厳しいというか無策で情けの無いことだと思います。人件費の平準化や仕事の分け合いによる雇用の拡大という議論は、それに比べれば即効性があるのに、どうなったのかと思います。高すぎるホワイトカラーの給与を下げるための方策、例えばホワイトカラーエグゼンプションなどはもっと具体的に考えるべきですし、ワークシェアもいつの間にか関心が薄れてしまいました。同時に、いつまでも昇給し続ける公務員の給与水準に関する問題も含めて議論すべきです。介護や医療、農業や林業なら求人があるというのなら、そこに行きたくなるような給与水準と職場環境を整えるために税金をつぎ込むべきです。早くしないと、失業問題、特に新卒者を含む若年層の就職問題は前回氷河期を上回る大変なことになりはしないのでしょうか。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e261252.html</link>
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<category>思うこと</category>
<pubDate>Wed, 10 Mar 2010 15:35:31 +0900</pubDate>

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<title>●人事異動の受け入れ方</title>
<description>人事異動の発令を受けた経験は大して多くないのですが、人事という発令する側の部署にいた関係で、その受け止められ方やその後の活躍の度合い、評判などを長く見てきておりますので、その経験などから、異動先に感謝されることはもちろん、異動を良いきっかけとして自らの価値を上げる、キャリアにつなげる人はどのようにそれを捉えるものなのかを考えてみました。これらは、転職でも同様かもしれません。「一からスタート」「とりあえずは勉強」と考える人は大体うまくいかないと思います。未経験だから、職場や業務のことを詳しく知らないからといって、自分が持っているものを活かそうというよりも、知ること、教えてもらうことに集中してしまう人です。もちろん、過去は知らんが俺はこうするといって学ぼうとしないのはイカン訳ですが、あんまりそういう人はいないもので、妙に謙虚になる人が多いものですが（まずは人間関係を作ろう、受け入れてもらおうという気持ちになることはよく分かりますが）、異動でやってきたのに新人のような言動をするのでは期待に応えることはできません。「これは飛ばされたのか」「期待されて引っ張られたのか」と異動の意図を考え過ぎるのもよくありません。異動は確かに一大事かもしれませんが、『誰がどのように考えて決めたのか』ということと、『行った場所でどのように振舞うか』ということを関連づけているような人が見受けられます。飛ばされたんだから適当にやっておこう、期待されたんだから頑張ろうというのは自分勝手な話で、そういう考え方こそ異動の意図をはずす原因になってしまいます。人事異動の目的には、仕事量・生産性の調整や事業戦略の遂行といったことから、活性化や育成、個別の希望や事情への配慮まで様々なことがありますが、最大の目的はイノベーションを起こすことだと言えます。ある業務・職場で蓄積されたことと、別の業務・職場で培われたことを、人を動かして掛け合わすことによって新しい工夫や効果や成果を生み出そうというのが人事異動の一番の目的であり、経営が人事異動を行う理由です。であるならば、ノウハウやスキルや視点を対等で自然な関係で公開、融合させ、振り返ることなくイノベーションを起こすことに互いに集中せねばなりません。職場や仕事に好影響を与え、自分のキャリアにとっても有意義なきっかけとできる人はそのように異動を捉えていると思います。同時に、そのような結果を得ることができたときには、経営者も人事も冥利に尽きるという気持ちになるものです。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e260602.html</link>
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<category>組織・人事</category>
<pubDate>Mon, 08 Mar 2010 13:58:50 +0900</pubDate>

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<title>●人事部という名称</title>
<description>ある本で知りましたが、セールスフォース・ドットコムという会社は「人事部」のことをＨＲ（ヒューマン・リソース）ではなくて、ＥＳ（エンプロイイー・サクセス）という名称にしているそうです。ずっと、「人事」という日本語が何かはっきりしない言葉だと思っており、何かいい表現はないものかと考えたりしていたのでナルホドと感心した次第。「人に関することをやる部署」（？）という、めちゃくちゃアバウトなニュアンスの名称ではなく、目的や部署のミッションが明確であるという意味で良いネーミングだと思います。ＥＳを日本語で部署の名前にするのは、また難儀ですが。部署の名前というのは軽視されがちで、扱うもの、することを何の工夫もなくつけてしまっている会社も多いと思いますが、そこに部署の目的や使命、行動規範的な言葉を盛り込むことで、部署の長も含めた意識や行動に影響を与える可能性もあります。ある会社では「情報営業部」と名づけることにより、お客様にとって有益な情報を提供することが営業の使命であるとしていましたし、「システム部」というよりは「情報化推進部」とするほうが部署の役割がはっきりします。エンプロイイー・サクセスということは、「人事とは、従業員の成功を支援する部署である」と言っているわけですが、ミッションが明確になっていることに加えて、人事のパラダイム転換を図っているという意味合いにおいて興味深いものがあります。大雑把に言うと、これまでの人事とは、会社（全体）の安定運営のために様々なルールを作り、それに則って現場や個人を管理・指導・処遇することをその役割としてきたわけですが、ＥＳというのはそうではなくて、個人個人の成功の結果として会社（全体）の成功があるという考え方に立脚しているように見えます。従業員の成功を支援するということは、ルールよりも従業員の個別性を重視する、仕事だけでなく生活や人生に視野を広げて考える、管理統制するより自由や成長を尊ぶといった人事部になろうということで、近年流行している個別のテーマ、例えばコーチングやＷＬＢやメンタルヘルスなどとも親和性が高いというか、それらを包括することができる考え方であると言えます。なので、なかなかいいネーミングだと改めて思うのですが、誰か絶妙な日本語にしてもらえないでしょうか。この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e258904.html</link>
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<category>思うこと</category>
<pubDate>Tue, 02 Mar 2010 11:34:56 +0900</pubDate>

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<title>●経営者はどうするんやろ</title>
<description>ＩＴのスキルが低いために生産性が低く、結果として残業が多くなったりしている業界として、教育（公教育も私塾なども含めて）や医療といった業界が上げられますが、企業内部においても経営者や幹部のＩＴスキルが低いことが理由で、生産性の向上や業務に問題が生じている例がかなり多くあります。そういう人達がよく言う「フェイストゥフェイスが大切だ」というのは、業務をＩＴ化することとは両立するというか、関係がないのですが、立場が上ですからＩＴを軽んじるその言い分が通ってしまって自分の仕事の仕方を変えることはありません。同じようなことで、コーチングなどの上司・部下のコミュニケーションの研修や公開講座をやった後に、受講者から「上が変わらないので、効果は限られる」というような声を聞きます。経営者や幹部が持つ現場や部下に対する価値観、見方や接し方がこれまでと変わらないのであれば、現場においてそのような考え方や技を身に付けても、大して会社や職場に影響はないのではないか。経営者がコーチングを勉強してほしい、今日の内容を経営者が学んでほしいと言う人が多いわけです。ということで、経営者や幹部が自ら変化し、新しいことを積極的に吸収していかねばならないという風には思うのですが、だからと言って、現場やメンバーが知っていること、やっていることを同じように知って、できないといけないという訳ではありません。どちらかと言えば、経営者がそんなことに熱心になってしまってはマズイことになってしまうでしょう。経営者が「経営」をせずに、現場と同じようなことを考えたりやったりしていてはアカンのもこれまた真実です。現場からは、実務的なレベルで効果的な新しい技術、人材や組織マネジメント上効果的な新しい考え方や手法などに対して、柔軟に変化しながら取り入れていくことを求められ、当然のごとく経営という得もいわれぬ芸のようなものに取り組まねばならないとすれば、これは大変。テンポ良い若者向け漫才も、見事な古典の落語も両方できてほしいみたいな要望をされている感じです。そう言われたらどうするか。今時の漫才に取り組むか、一層古典を磨くか、両方やろうとするか。どうしたらいいか分らなくなって立ちすくむか。どうする人が多いんでしょうか。この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e257648.html</link>
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<category>思うこと</category>
<pubDate>Fri, 26 Feb 2010 11:03:32 +0900</pubDate>

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<title>●西天満のコンビニ</title>
<description>少し前にビルの１階がコンビニに変わったと思ったら、道を挟んで向かいにセブンイレブンがオープンするようです。これで、ここ西天満交差点は、１００メートル半径に６軒のコンビニがある激戦区（？）になりました。別に人が増えているわけでもなく、夜になると通りがかりの人が一気に減ってしまう渋いエリアなので、どういうマーケティングでここに出店してくるのだか不思議なのですが、これから起こるだろう競争には興味深いものがあります。今、近くにある５軒を見ておりますと、コンビニというのは店員さんがいかに大事かというのがハッキリと分かります。私は、別にコンビニにうるさい訳でもなく、大したユーザーでもないのですが、５軒の好き嫌いというか自分のランキングをつけることができて、西天満西のファミリーマートが一番。理由は、店員さんが「元気がいい」「常に動いている」「早い」「カワイイ」とか色々とあるのですが、他の人も一緒のようで、お昼時などは他店とは行列の長さが全然違います。（ウチのビル１階のコンビニは、昼も人があまりいません。）そのファミマの店員さんについて、共通に上手だなあと感心するのは、「お釣りの渡し方」であります。ゆっくりとしたモーションはダメですし、こっちから取りに行かないといけないような中途半端な差し出し方はダメです。かといって、速くても押し付けるようではいけませんし、もうはや次の人に視線や意識が行っているのもイマイチ。２００～３００円のものを買っているのに、丁寧すぎるのもオカシイものです。ここらあたりを踏まえた、絶妙の釣銭渡しが行われています。お客さんが差し出した手の下に、触るか触らんかくらいの感じで手を添えて、そこに小銭をキュッと軽い力で小銭を納めます。２００円のものを買ったに見合う、ちょうど良い笑顔と軽い「ありがとうございます」も素晴らしい。こういうのはマニュアルでは表現しにくく、トレーニングでもなかなか難しいかも。思わず、ウチに来ませんか・・・と言いかけたりして。要は、品揃えとか店作りもさることながら、コンビニの命運は店員さんにあるんではないかいな・・と感じることがあったという小さい話しを書いてみました。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e255824.html</link>
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<category>思うこと</category>
<pubDate>Fri, 19 Feb 2010 17:18:30 +0900</pubDate>

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<title>●業績評価と管理会計</title>
<description>人事制度を作る際に、いい機会なので管理会計を改めて考えていただきたいといつも思います。評価制度において、業績は数字になるから簡単だけれども、能力や行動や働きぶりは数字になりにくいから難しいという前提で、業績に対する評価はこれくらい差をつけたいとか、業績とそれ以外の重み付けはこれくらいにしたいとかいう会話がなされるわけですが、業績評価そのものにも議論の余地があります。例えば、業績を「売上」だけで評価するのが良いのかどうか。利益やその他の指標を加味する、合計数値だけでなくその内訳も加味するといったことで、経営の考えや今重視すべきことと評価項目を一致させることは、大切なことです。日ごろのメッセージと評価項目が異なる状態は、従業員には注力すべきことが分りにくく混乱を招きます。これを目指して、これを大切にしてというなら、それを評価しなければなりません。また、そのような結果に至る要因を斟酌することも必要でしょう。例えば、地域や扱う商品や上司の違いは、本人の出した結果に大きく影響を与えるわけで、無視してよいとは言えません。そこまで考えてきて、現実にそうしようとする場合に、「とは言っても、ウチはシステム上、そんなにしっかり数字を出せないから無理」と諦めてしまうことがあり、逆に、「もっともっと色々な数字を出せるので、それらでガンガン評価していこう」と勢い込むのも良くありません。前者で言うなら、何を評価するかというメッセージは大切なので、出すべき数値であれば経理担当者が大変になっても、多少のシステムやルールの変更を要しても出さねばなりませんし、かといって、後者のように出せる数値をどんどんと業績評価に組み込んでしまうと、これまた何を評価するのかというメッセージが分らなくなってしまいます。ちゃんとした管理会計を行うのが、勘でなく事実に基づいた経営判断を行うために大切なのと同様、ちゃんとした管理会計は、勘でなく事実に基づいた業績評価を行うために大切です。しかしながら、管理会計がちゃんとしていて事実に基づいて評価できるからといって、良い業績評価が出来るとは限らないということです。業績評価の良し悪しは、管理会計がちゃんとしている上で、それをどのように用いるかという経営者のセンスや思想が問われるところです。この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e254627.html</link>
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<category>組織・人事</category>
<pubDate>Mon, 15 Feb 2010 10:58:20 +0900</pubDate>

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<title>●ブログから勉強していること</title>
<description>去年の５月から「インサイト・ナウ」というｗｅｂビジネス情報誌に投稿しておりまして、このブログに書いたものを加筆・修正して転載しています。ビジネス関連のブログのランキングサイトなのですが、結構なアクセスがあるので反応が数字で分りやすく、いろんなことが勉強になっています。まず、ネットの伝播力はすごいということ。最近で言うと、２月１日に、『どこのオフィスにでもある「でっかいゴミ箱」』という記事を投稿したのですが、３日ほど２００アクセスくらいだったものが、２月５日に急にアクセスが増えてその日は９００を超えました。何でか調べたもののよく分からないのですが、インサイトナウが提携しているライブドアニュースやｂｉｚ誠に転載され、それが更にｍｉｘニュースやヤフーニュースに転載されて、ブログへの引用やブックマークになっていって・・・という伝播がすごく、本人もよく分からんくらいになることがあります。次に、タイトルがすごく大事だと言うこと。内容がいいからアクセスが多いというより、タイトルで決まってしまうような所があります。タイトルとアクセス数は、次のようになっています。身近な話題、刺激的なフレーズ、不安にさせたり不思議感があるような表現が、やはりクリックを誘うのだと思います。とは言え、そのようなタイトルをつけるのはなかなかに難しいわけですけれど。同じ内容でタイトルだけ変えて投稿したらどうなるか、面白いかもしれませんが、そんなことは出来ません。それから、これくらいのアクセスを集めても、だからと言ってすぐに集客につながったり、問合せがすごく増えたり、本が売れたりというようなことにはなりません。知っている人が増えているのは間違いないでしょうが、そこから先につなげていくのは、また異なるアプローチが必要です。ここがマーケティングの奥深さであり、難しさであってまだまだ勉強しなければなりません。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e252228.html</link>
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<category>出来事</category>
<pubDate>Mon, 08 Feb 2010 09:00:00 +0900</pubDate>

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<title>●オフィスの大きなゴミ箱</title>
<description>昔、フリーアドレスに挑戦したことがあります。約２０人の部員がいる部署で、私は課長さん。目的は忘れてしまったのですが、何か変化が欲しかったのか、新しいこと好きの血が騒いだか、そんな曖昧な感じだったと思います。フリーアドレスとは、住所が自由・不定ということで、オフィスにおいて自分の机が決まっていない状況を作り出すことです。だから、朝出社してきたら自分の机にヨッコラショと座るのではなくて、どこに座るか考えないといけません。来た順に、自由に座っていきます。何が良いかというと、自分の机ではない（明日は違う人がそこに座る）ので帰るときには片付けてというか、何もない状態にして帰らないといけませんから、机の上が綺麗になります。隣に座る人がしょっちゅう変わる（毎日が席替え）ので、ちょっとだけ楽しい。うまくすれば、色々な人の業務の状況や仕事の中身がよく分かるようになる、といったことがあります。机だけではなくて、ＰＣも自分のものではない（本当はもともと会社のものですが・・）ので、ハードディスクに変なものを残したり、乱雑に保存したりできませんし、履歴が残るのでインターネットで遊んだりできません。（個人作業は、共有サーバーに個人ごとにロックがかかったフォルダーを作って、そこで行います。）この取組みは、自分ではかなり気に入って、うまく機能したように感じたので満足していましたし、他部署でも真似するやろなーーくらいに思っていたのですが、一部の偉い人にはどうでもよいことに力を入れているバカ扱いされたりしましたし、私が異動になったら元に戻ってしまったのはコケそうになりましたが・・・。結局あれから10年くらい経ちますが、世の中で流行っていませんので何かイマイチな部分があるのか、取組みの面倒さの割に効果がないのか、「自分の机がある」ということが大事なことなのか分りませんが何かあるのでしょう。でも、フリーアドレスをやった際に発見した（ちょっとだけ）スゴイことがあります。当時、キャビネットが１０本くらいあったのですが、それを期に中を全部チェックして捨てていったら、何と２本になったこと。８本の背の高いキャビネットの中には、部内の誰も必要としていない資料が保管されていたということです。８本の背の高いキャビネットが、ゴミ箱と化していたのは、当時驚きでした。皆さんのオフィスも、ゴミだらけになっていないでしょうか。ひょっとして、日本のオフィスにあるキャビネットの半分くらいは、実質的にゴミ箱だったりして・・・と想像したりします。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e250230.html</link>
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<category>出来事</category>
<pubDate>Mon, 01 Feb 2010 09:00:58 +0900</pubDate>

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<title>●新人育成と最初の仕事</title>
<description>私が学校を卒業し、会社に入って最初に取り組んだ仕事というのは、「電話かけ：テレアポ」でありました。毎日、朝８～１０時、夕方７～９時は目の前に積まれた学生の名簿から、１件１件電話をして会う約束を取り付けていきます。人事部では他に、給与計算ではタイムカードをチェック・集計するとか、各種の変更届を受け付けて電卓で計算するとかいった、要は単純な作業系の業務が沢山あって、それらは概ね新入社員や若手が担当する仕事でありました。人事部に限らず、ここ１５年位でこういった作業系の業務は、主としてＩＴ化によって激減もしくは消えてしまった訳ですが、このことが新人の定着や育成にとってマイナスとなっている面があるように思います。自分でもすぐに出来る仕事、自分しかやる人がいない仕事があるのはどのようなものであれ嬉しいもので、難しくてすぐに出来そうもないことや、他にもっと出来る人がいるようなことを与えられるより、はるかにストレスなく、活き活きのびのびと取り組むことができます。また、自分が電話でアポをとった人が採用につながった、自分が計算したことが反映されたその月の給与計算が終わったということは、ちょっとチームの一員として機能した、貢献した気もしてきますから、組織へのロイヤリティも生まれやすくなります。「作業」とは言うものの学ぶこともあって、テレアポのトークを工夫したり、意外な反応に出くわすことでコツやポイントを会得するようになります。給与計算でも、電卓を見ずにたたけるようになり、計算ミスが起こりそうな所が予想できるようになり、税や保険料の仕組みや数字が頭に入ってきて、いずれは人件費の総額や構成が概ねイメージできるようになります。私が作業系を最初に経験して（徹底させられて）、もっとも良かったと思うのは、フロー状態というか目の前の仕事に没頭・集中してとても頭が活性化する感覚を覚えたことです。最初は反復行動がアホらしく、面倒で、イヤになってくるのですが、そういう状態に入るとなぜか面白くてスピードも工夫も出てくる。今でも、何かに取り組むときにいかに早くその状態に入れるかを意識しているわけですが、これら沢山の効用がある新人らしい仕事が減ってしまったことは、嘆いてももう後戻りできません。「作業」という育成ツールが無くなった以上、新人に対して不満を言うのではなく、こちらがマネジメントを学びなおすことから始めないとなりません。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e248489.html</link>
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<category>人材育成・教育研修</category>
<pubDate>Mon, 25 Jan 2010 10:00:00 +0900</pubDate>

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<title>●「研修嫌い」の経営者の意識</title>
<description>従業員が学ぶことを奨励しないトップがいます。「学ぶヒマがあったら仕事をしてほしい。」「学んだって大して効果は出ないのだから、目の前の仕事に集中してくれ。」と考えるタイプの経営者もいるでしょうが、学ぶということを害のように考える人も少なくないように思います。学ぶということが、かえって会社・組織・仕事にマイナスになると考える経営者がいるようです。例えば、自分がしっかり教え、指示しているのに他に何を学ぶことがあるのか、皆が学ぶべき素材は社長たる自分なのであって他に学びたいとは何事か、といった意識。もしくは、外部から新しいことを学ぶことによって、現状の仕事の仕方や組織の在り方に疑問を持たれたり、批判的になられたりしては困る、自分が築いてきた今の仕事の仕方や組織が素晴らしいのであって、学ぶとはそれを見直すような動きに他ならずけしからん、という意識です。他にも、歴史と伝統を持つ老舗企業であれば、現場の若者が新しいことを学び、吸収することは、営々と受け継がれてきたものを軽視することにつながるのではないか、昔の創業者やカリスマの残したものを壊すことにつながるのではないかと恐れる気持ちが出てきても不思議ではないでしょう。これらのような場合、外からの学び・刺激を受けない鎖国状態になるか、トップだけ勉強してあとはそれに従えという組織になるかです。従業員がしっかり学ぶことが、企業の収益性・永続性を高めるのかどうか、どれくらい効果があるのかどうかは分りません。学ばなければ企業はいつかダメになる、とは安易には言い切れません。が、経営者として自分が学ぶことを奨励しないのはなぜか、それは時代認識、組織や仕事・人間に対する見方がこうであるからだ、と自らしっかり自覚しておくことは「経営」をしていくためには大切な要素であると思います（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e248184.html</link>
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<category>人材育成・教育研修</category>
<pubDate>Fri, 22 Jan 2010 10:59:06 +0900</pubDate>

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<title>●研修の目的をどう考えるか</title>
<description>「何のために実施するのか」という目的において、研修は学生時代の「勉強」とは異なるものがあります。もちろん、研修も、第一義的には人材育成が目的であって、全社的にまたは各々の物足りない部分を強化する、組織的行動や仕事を進めるのに必要なスキルやノウハウを獲得させる、いわゆる「レベルアップ」「底上げ」が目的で、この点においては「勉強」と大差はありません。しかしながら、研修には次のようなそれとは異なる目的があります。一つは、イノベーションを起こすこと。目を見張るような一大変革を巻き起こすということではなく、ちょっとした工夫、これまでとは違ったやり方、別の視点や考え方など、業務レベルで変化を生み出すためのきっかけを作ることです。何もしなければ、同じようにやり続けることに疑問が湧かなくなってくる、変えたくてもどうしたらいいか分らない、という状態になるのが普通ですが、こういう状態を脱するための支援が研修であるというわけです。二つ目は、インセンティブを与えること。働く人は、報酬や賞といった金銭的なものだけで動機付けられるのではありません。組織が目指すこと、取り組んでいる仕事、職場における人間関係、そのほか様々なものに働き甲斐を感じますが、その一つに成長の実感というものがあります。研修とは、成長する機会の提供であり、働く人を動機付けることを目的としたものとして位置づけることができます。三つ目は、人事の柔軟性を高めること。同じ人が同じようなことしか出来ない状態、どの仕事も代わりとなってやれる人がいない、だから組織や担当の変更が出来ないような状態は、経営としては非常に厳しい。チャンスが来たらつかみに行ける、環境変化が起こったら対応できるようにしておくためには、個々の守備範囲を広げておかねばなりません。研修は、新たな視野やスキルを獲得する機会を与えることにより、経営の柔軟性を高めるという目的も持っていると言えます。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e247075.html</link>
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<category>組織・人事</category>
<pubDate>Mon, 18 Jan 2010 10:08:49 +0900</pubDate>

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<title>●「評価の目線がバラバラ」は、ダメなのか？</title>
<description>例えば人事評価で、彼のこの半年の働きを何点とするか、あるいは彼を昇格させるかどうか、例えば採用面接で、彼を採用とするか不採用とするか、といった評価を行う場合、その評価に参加する人達の意見や考え方に相違があるのは困りものだ、と考える人が多いようです。だいたい、評価の主催者は、評価に参加する人の目線を揃えたい、評価の観点や基準を統一したいと言います。評価する人によって意見がバラバラであると、議論や調整が必要になるので、結論を得るまでに時間がかかってしまう。この点で、評価の主催者が困るという状況は分ります。評価する対象があり、その評価に参加する人が集まってきて、せーのっでフタを開けたら意見が同じであれば楽に違いありません。効率化の観点からは、評価する目線がバラバラでないほうが良いということです。しかしながら、評価者の目線、つまり評価の観点（どこを見るか）・基準（どのレベルで良しとするか）が揃うことには問題もあります。それは、異質の排除につながること。どこがどの程度良い、どこが良くない、こうしてもらいたい、こうなってもらいたいという意見が一致しているということは、それを続けていくと人材の多様性が失われていくことにつながる可能性があります。皆が一様に同じことを求めるのであれば、その眼鏡にかなわない人は入れないし、育ちもしません。評価の目的は、短期的には「配分（給与・賞与）の決定」「役割（昇進・昇格）の決定」「育成」「動機付け」です。評価の結果によって配分や役割を決め、評価の内容や伝え方によって成長を促し、モチベーション向上を図ります。忘れられがちなのは、中長期的には、評価が人材を規定していく、どのような評価をしているかはどのような人材が揃うのかに大きく影響するということです。被評価者は、評価されることに集中しますし、高い評価をされる言動をとるようになっていくからです。統一された視点による画一的な評価は、人材をそのようにしていきます。バラバラ目線による多様な評価は、悪いことではないばかりか、組織の未来にとって重要でさえあると考えます。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e246365.html</link>
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<category>組織・人事</category>
<pubDate>Fri, 15 Jan 2010 13:53:09 +0900</pubDate>

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<title>●ビフォーサービスとアフターサービス</title>
<description>マーケティングというか営業の用語に、「ビフォーサービス」という言葉があります。「アフターサービス」というのが、商品を買っていただいたお客様へのメンテナンスや情報提供などを行うことを指すのに対して、「ビフォーサービス」というのは見込み客の購入意欲を高めるための活動です。本来は、アフターももう一度買ってもらうために行うものなのですが、「買ってもらった人に、タダで行う活動」「クレーム防止のための御用伺い」といった意味合いで捉えられがちで、営業に携わる人にとって「アフター」はあまり良い響きではありません。特に、リピートや継続があまりない商品、例えばブライダルとか住宅などはアフターサービスをしたからといって「よし、もう一回買おう」とはなりませんから、そういう業界ではアフターを嫌がる人、軽視する人が多くなります。収益につながりにくい無駄な活動として、そこにお金をかけない企業もそういう業界に多いのではないかと思います。また一般的にも、経営が顧客満足・ブランドメーク・紹介促進といった目的でアフターに注力しようとしても、自分の評価に関係がない、目の前の数値目標達成にとって意味がないので力が入りません。もともと「アフターサービス」が大切なのは、顧客満足やブランド作りやクレーム防止のためなのではなくて、単発でちょっとだけ買ってくれる人をたくさん作るよりも、継続してたくさん買ってくれる人を育てたほうが、収益性が高くなるからであって、そういうロイヤルカスタマーを作るためにアフターサービスが重要だというのが原点です。つまり、アフターサービスはビフォーサービスでもあるわけです。買ってもらった後にする活動を、「アフター」と捉えてイヤイヤやっているか、その活動を「ビフォー」と捉えて前向きに成果を見据えてやっているか、これが売れる人かどうかの違いかもしれません。一発屋で、いつも忙しそうな営業マンと、安定した顧客との関係からコンスタントに成果を出している営業マンの違いは、「アフター」と考えているか「ビフォー」と考えているかの違いかもしれません。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e244316.html</link>
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<category>人材育成・教育研修</category>
<pubDate>Fri, 08 Jan 2010 09:00:00 +0900</pubDate>

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<title>●人事が「成長」に貢献するために</title>
<description>昨年の労働市場に関する話題は、就職環境の急激な悪化、正規社員のリストラであり、人事施策としては、成果主義の見直し・メンタルヘルス・ダイバーシティといったキーワードはあったものの全体としては掛け声レベルであって、ほぼ人員・人件費の絞り込みに終始した１年であったということになると思います。人というのが経営にとって「資本」ではなく、すっかり「債務」になってしまっているという指摘もありました。平均給与は10年以上も下がり続け、これが反転するほどの成長が実現するイメージを持てない。雇用も同様で、失業率は改善どころか雇用調整助成金の利用状況から想像される潜在的な失業者を含めれば既に実質的には二桁になっているという説もあります。給与水準の低下がグローバル競争の中の調整であるとすればまだまだ下がる可能性が高く、成長分野が明確でないので雇用数が増える感じもなく、普通に考えれば、今年もこのまま人員と人件費の絞込みをやり続けざるを得ないのだろうと思います。もちろん現在の不況が景気循環であると見るなら、またいつか採用も処遇も元通りになっていくと考えればいいわけですが、そういう前提で人事を考えていて良いのかどうかが提出された問題です。この先何年もこのような人事施策をやり続けることになった場合に、経営は事業はどうなってしまうのかを想像し、そうならないために戦略的に人や組織を考え、改革を実行してなければなりません。何が儲かるのかを探すのもいいでしょうが、今こそ、経営として人や組織を変えることを通じて成長を図る、同じように人事としても事業部門の成長に貢献できることは何か、と考えなければなりません。ポイントは、関連する分野の全てを視野に入れて、事業との関連を明確にしながら、その方策を総動員すること。そして、問題改善型のＰＤＣＡ的アプローチの限界を知り、目的追求型の思考をすること。また、人や組織のレベルアップには時間がかかることを理解することだと思います。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e243939.html</link>
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<category>思うこと</category>
<pubDate>Wed, 06 Jan 2010 11:19:59 +0900</pubDate>

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<title>●本を出しませんか、という話から。</title>
<description>つい最近、2つの出版社から本を出しませんか、という連絡がありました。このブログや記事投稿しているサイトを見て連絡をいただいたとのことですが、出版業界も大変だなあと感じました。出版不況と言われて長いわけですが、要は本が売れなくなり、読者から入ってくるお金が少なくなったので、著者からお金をとるモデルへの転換を急がざるを得ないということなのでしょう。本の出版では大抵、確実に売れる著者以外は出版社と著者がリスクを分け合います。例えば、3000冊作るので1000冊は著者が買い取ってください。更に、デザインや装丁や流通にかかる費用がこれくらいなので、合計50～400万円を著者負担でお願いしますという形式です。本を出せば全く売れなくても出版社には売上があるわけで、出版される本の数が増えているのは、一冊あたりの売上が落ちているので、数で勝負するしかないということです。だから今、出版社はお金を払っても本を出したい人を一生懸命探していて、そういう職業の人を見つけては営業をされているのではないかと思います。こうなりますと、本の質がどんどん低下して、余計に本離れが起こるような気もしますし、書いたほうとしても、売れないし、本を出す値打ちというものも無くなってくるので、やや悪循環が始まっている感じもします。いや、そうではなくて、出版するということが身近になり、色々な分野の様々な人がその知や経験を一般に広めることができるようになって、本というものがこれまでにはないような面白さを持つようになる。競争がレベルアップを生むのであれば、多くの本が出るのですから、著者間にも競争が起こり、内容のレベルアップにもつながっていく。そんな良循環が始まるのでしょうか。この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e239126.html</link>
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<category>出来事</category>
<pubDate>Mon, 21 Dec 2009 08:30:00 +0900</pubDate>

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<title>●論理的思考力が弱いとどうなるか</title>
<description>個人的には、ロジカルシンキング万能のような考え方は好きでなく、どちらかと言えば、発想が拡散していく楽しさや、論理的でなくても合意している状態を尊ぶことが大切ではないかと思っていますが、とは言っても論理的に考えられないことで、次のようなことが起こります。「経験を、体系や法則や原則にできない。」誰しも仕事や人生で色々な経験をする訳ですが、その経験から、こういう仕組みになっているのではないか、こうすればうまくいくのではないのか、最も大切なことはこれじゃないのか、といった結論めいたものが生まれてきます。経験を根拠に、法則・原則を結論として導くロジカルシンキングです。こういう思考ができないと、経験する意味が希薄になってきます。「理論を現実に当てはめられない」今度は逆のこと。研修やセミナーや本から、様々な理論やフレームや考え方を学ぶ訳ですが、そこから、それは現実にはこういう風に使える、これはこの場面で使ってみよう、自分の仕事ではこのように修正して利用できるのでは、といったアイデアや策が生まれてきます。法則や原則を結論として、具体策にブレークダウンしていくロジカルシンキングです。こういう思考ができないと、研修も本も「使えない学び」として放置されます。経験によってステップアップする、学びによって現実をレベルアップさせる、には論理的に思考する力と習慣が大切で、それが出来ないとただ目の前のことを繰り返すだけになる危険性があるということです。論理的に考えるということは、ビジネスの様々な場面における説得力をつけるということよりも、成長にとって重要であるとも言えます。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e238909.html</link>
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<category>人材育成・教育研修</category>
<pubDate>Thu, 17 Dec 2009 09:00:00 +0900</pubDate>

</item>

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<title>●論理力と国語力</title>
<description>論理的に考える力は、数理的に考える力が数字や記号を間違いなく使う必要があるのと同様に、言葉を正確に使う必要があり、だから国語力と密接に関係しています。そもそも論理の論とは「言葉」の意味であって、論理的であることを目指すのであれば、国語力・言語力を向上させなければなりません。中でも次の3つの力が重要です。意味や使い方を理解している単語や言い回しを、沢山持っていること。曖昧で抽象的な表現、人によって解釈の仕方が異なるような表現は、論理として弱くなります。事象を、厳密かつ端的に表わすためには、言葉を多く知っていることが大切です。接続詞を適切に使えること。関係を曖昧にしたまま並べられた情報は、論理的ではありません。情報間の関係を自分でも他人に対しても明確にするためには、短文を適切な接続詞をはさみながら積み重ねることが大切です。要らぬ言葉を削ぎ落とせること。論理的であるためには、論旨に関係がないあるいは補足や事例や詳細といった内容、他にも冗長な言い回しなどに気づき、これらを無くしていかねばなりません。要約したり、見出しをつけたりする作業と同じです。さらに論理的思考には、掘り下げたり分解したりというプロセスも重要ですが、これも言葉に対する感性や理解度と密接に関係しています。言葉を曖昧に捉えて流してしまわず、反応できるかどうかが問われるわけです。ロジックツリー、ＭＥＣＥ、Ｓｏ-ｗｈａｔ、Ｗｈｙ-ｓｏなどを学んでも、論理的思考というものがピンと来ないと言われる方は多いのですが、言葉を正確に理解する、言葉を丁寧に使う、接続詞を重視して内容を構成する、という観点から読んだり、書いたり、考えたりしてみれば分かりやすいかもしれません。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。　</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e238876.html</link>
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<category>思うこと</category>
<pubDate>Tue, 15 Dec 2009 13:53:32 +0900</pubDate>

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<title>●石川遼君は凄いですね。</title>
<description>先日、テレビのニュース番組で石川遼選手のインタビューを見ましたが、受け答えが堂々としているだけでなく、内容がしっかりとあることに感心しました。Ｊリーグの選手にちょっとは勉強してもらいたいほど、紳士的で内容があり、話す技があって表現力も立派でありました。内容として印象に残ったことが、二つあります。１年間、「躍動感」をテーマとしてプレーしていたこと。ギャラリーやＴＶ観戦している人が躍動感を感じるかどうか、が自分のプレーの良し悪しの基準であったということです。この場面でどのような選択・行動をするか、についてこのような基準を持つことは、規範や共有価値観が浸透している組織と同じで、迷いなく信念を持った言動が可能となります。誰が与えた言葉なのか分かりませんが、若者をマネジメントするには素晴らしい方法だと感じます。もう一つは、失敗した時には「これが自分の実力だから仕方ない」と思って切り替えるようにしていたこと。以前はミスした自分を責めたり、後悔したりしていたそうですが、マスターズで凄いプレーヤーを見て、自分の力ならミスが出るのは当然だと切り替えるようにしたということでした。これは正に、ネガティブをポジティブに変えるセルフトーク（独り言）で、安定した精神でパフォーマンスするコツと言えます。こんなスゴイ若者が、世代に一人だけしかいないということはないでしょう。スポーツの世界だけということもないでしょう。ゆとり世代とかでひとくくりにされて何だかんだと言われている訳ですが、スゴイ若者が結構いっぱいいるかも・・・と皆で期待したいものです。それにしても、ゆとり世代を良く言ったり持ち上げたりすると、結構批判されるのは、何故でしょうか・・・。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e237437.html</link>
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<category>思うこと</category>
<pubDate>Thu, 10 Dec 2009 09:00:00 +0900</pubDate>

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<title>●良い耳と咀嚼する技術</title>
<description>イチローの影響からか、メディアなどで最近「自分を客観視する」ということの重要性を指摘する人が多いように感じます。勘違いや思い込みではなく、周囲や世間、上司や会社の視点に立って、彼らが自分をどう見ていて、何を期待し、何をすればよいかを理解した上でパフォーマンスすることが重要であるという話です。これはその通りで、「ジョハリの窓」で言うところの“開放の窓”を大きくした上での言動が効果的だという話と同じです。しかしながら、正確な客観視というのはなかなか難しいもので、それは、誰にでもある、都合の良いように聞く、都合の良いように理解する癖からなかなか抜け出せないからでしょう。客観視しようとして周囲から色々な評価をもらっても、この癖があったら大した意味はなくなります。「変わってるね、不思議ちゃんだよね」と言われて、「普通じゃない、ユニークなんだ」と考えるか「ひょっとして違和感を与えているんじゃないか」と考えるか。「癒し系、和み系」と言われてそのまま肯定的に受け取るか、「元気や覇気や活気がないのかも」と受け取るか。「芯がある、自分がある」と言われて、やっぱりそうだよねと思うか、「頑なで、受容性がないのかも・・」と思うか。「話しやすい、聞いてくれる」と言われて、自分を聞き上手だと考えるか、「意見がない、言いたいことが分からない」と考えるか。相手にとって耳の痛いことをストレートに言う人は少ないわけで、普通の人は相手についてコメントする時には、当たり障りのない言葉を選んだり、言いたいことを省略したり、良いように表現したりします。だから、それを都合の良いように聞いていると客観視どころか勘違いを増大させるだけになります。ということで、客観視には良い耳と咀嚼する技術が必要だと思うわけですが、咀嚼が過ぎるとあまのじゃくになってしまうのが、これまた難儀なところです。（クリックお願いします）この記事のランキングは、こちらでご覧ください。</description>
<link>http://mmmk.osakazine.net/e237045.html</link>
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<category>思うこと</category>
<pubDate>Tue, 08 Dec 2009 10:23:09 +0900</pubDate>

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